DCTgarden"THE LIVE!!!" vol.3
出演してくれた最高の皆の写真を、感謝を込めて、UP!
近々、レポートがUPされると思うので、行った人も、行けなかった人も要チェケキラウト。DCT−TVでのダイジェストもお楽しみに。
「Vol.4」もアナウンスされているので今のうちにチケットをゲット。「THE LIVE!!!」=「ザ 年末 DE 大騒ぎパーテー」になるはず。
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それにしても、今夜思う存分楽しめた、ファンク、ソウル、リズム&ブルース、レゲエ、スカ、HIP HOP、ロック等々の音楽に、当たり前の様に今の世代のミュージシャンが日本語を乗せて表現していることに、突然、驚いてしまった。そして、もちろん、嬉しくもあった。
僕が高校生だった頃(もう30年ぐらい前になってしまう。)、「キャンディー・グライダー」という名前の3人編成のファンクバンドをやっていた。
「パーラメント」や「ファンカデリック」系のキッツーいファンク・サウンドに、四畳半フォークと呼ばれていた系のくらーい詩を乗せて、激しいアクション付きで歌っていた。
当時、関西ではめっちゃカッコいいファンク・バンドは沢山あったが、関東ではあまり無かったと思う。しかも、オリジナル曲で勝負だ。ファンク系のオリジナル曲なんて想像もできない頃だった。
つまり、僕のバンドは、「先取り」で「ヒップ」だったのだ。しかも、学ランを着た高校生の、ファンク・バンドだ。
しかし、アマチュアといえばフォークかロックが主流だった時代に(実際、僕の高校には、フォーク同好会とロック同好会があった。そして何故か、ロック同好会のほうが政治的に強かった。)僕らのバンドは全く、全然、見事に、ウケなかった。
どんなに「ゲッダウン!」「ゲロンパ!」「テイク イット トゥ ザブリッジ!」しても、講堂に集まってくれたお客さん(生徒諸君ともいう。)は、ただ口を開けてぽかーんとしているだけだった。
つまり、僕のバンドは、「前衛過ぎ」で「お客さんドン引き」だったのだ。
もちろん、その原因がファンク・ミュージックというジャンルにあったのではなく、僕の歌唱力と詩にあったということは10年後に明らかになるのだが。
そんなわけで、「日本の音楽シーンも随分と面白くなったもんだなぁ。」と、感激してしまった夜でした。
ライヴで火照った心と体をクールダウンさせるには、sumileでジョシュの料理に限る!と、予約を入れようとしたらとんでもない事に気が付いた。