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ドリブログ ARCHIVES

「8!えっと〜(8)、や(8)っぱり、や(8)〜めたっ!」


今更ニューヨークであった辛い出来事をブログっても仕方ないもんね。

だいたい辛い思い出って、一旦思い出し始めると、芋づる式に蘇って来るという特性を持ってるから、思い出し始めないに限る。

それに、僕には「コイツ」がいるじゃない。


どんなにニューヨークに拠点を移すことが大変だったにしても、結果、「コイツ」に出会えたじゃない。

悪いこともあれば良いこともある。僕は密かに「人生トントン説」を信じていたりする。

21年前、僕と吉田さんもお互い最悪の時に出会った。その当時、それぞれが最悪の状況に追い込まれていなければ、またそれぞれがとある場所に仕事に行く事も無かっただろうし、したがって出会う事もなかった。つまりドリカムは生まれていなかっただろう。

ドリカムとして活動して来た過去19年を振り返ってもそうだ。最悪の状況から常に学び(あるいは、学ばざるをえなかった)、未来に繋がるヒントを見つけ出して来た。

こう表現するとカッコ良過ぎだが、とにかくあがいて来た。アリ地獄の場合(まだ僕は落ちた経験はない)、あがけばあがくほど状況が悪くなるというが、人生の場合は違うと思う。"悪あがき"と言われようが、人から
”みっともない”と笑われようが、あがけば必ず未来に繋がる何かを手に掴む。ヘトヘトになって倒れ込んでしまっても、気づくとその何かを手に掴んでいることだってある。

人生の大半を他者の犠牲のもとにうまくやったとしても、最後にドカンと払い戻さなければならない。決して裕福ではないけれど人生をひた向きに歩めば、お金では絶対手に入らない幸せを日々感じることが出来る。

人としてたった48年のキャリアだが、世の中をちょっと注意深く観察すると、これに当てはまらないことは殆どない。当てはまらないように見える場合でも、その期間がふつうより長いだけだ。

悪いこともあれば良いこともある。その逆も真なり。

その時のために「徳を積め」と多くの優れた人物が説いている。なんだか損得勘定のようだが、そうではない。人に対して社会に対して「善い行い」をすることが、いつかは自分にも幸せとなって還って来るという意味だろう。

ちなみに僕の「徳貯金」は、「対自分戦争」にも現れている様に、マイナスになってるような気がするのです。はい。

んじゃぁ、只今から、一日一善!


「吉田さーん!今日は僕が『コイツ』を散歩に連れて行きますよ!なんだったら、ブラシもかけますよー!」

って、そういうことじゃないんだよねぇ。