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ドリブログ ARCHIVES

2007年9月30日に綴る


吉田美和の最愛のパートナーである末田健監督が、2007年9月26日16時15分、胚細胞腫瘍で亡くなりました。

まだこの世に生を受けて33年しか経ってないのに、何かを急ぐように、次の世界に旅立ってしまいました。

ドリカムの20周年に向けて、末田監督にしか撮ることのできない吉田美和の長編ドキュメンタリーを作ろうと、あんなに張り切っていたのに、昨年末から着々と撮り進めていたのに、完成を見ることなく逝ってしまいました。

ドリカムワンダーランド2007の開始と前後して、容態が急変し緊急入院となりました。

ご両親や吉田の昼夜ない必死の看病のもと、末田監督は、強い意志と強靭な精神力で病気と闘いました。

吉田がこのような状況で国立競技場公演までやり通せたのも、「ドリカムワンダーランドの最終公演まで、どんなことがあってもステージをしっかり勤め上げる」という末田監督と吉田の約束があったからでした。

吉田も、末田監督の回復を強く信じて、一公演一公演、渾身の力を振り絞って歌い、踊り、走りました。

それに対して僕は、ただふたりを見守ることしかできない自分の無力さに、打ちのめされる日々でした。それは、たった今も。

末田監督や吉田と一緒に、世界中いろんな所に旅して出会ったいろんな出来事、NEW YORKで3人だけで機材を担いで手作りした「もしも雪なら」のミュージックビデオをはじめとする数えきれないほどの撮影、どんなときも穏やかで微笑む末田監督の顔が、溢れるように僕の瞼に映ります。

そうしてるうちに、吉田の心の一端に辿り着いた時、その限りなく深い悲しみに包まれた彼女の心を思うと、僕の胸は張り裂けるばかりです。

スーくん。

「ア・イ・シ・テ・ルのサイン 〜 わたしたちの未来予想図 〜」を、スーくんに捧げます。たとえスーくんと吉田が別々の世界にいようと、ふたりのアイシテルのサインはお互いに届いていると信じています。

だから、どうか、吉田を見守ってください。吉田がスーくんに触れることができなくても、彼女が歩き出せるよう力をください。できたらいっつも吉田のそばでうろうろしていてください。

僕は、吉田がこの歌をまた歌える時がくるまで、静かに待ちます。

スーくん。

僕も遅かれ早かれそっちに行きます。それまでは寂しいけど、ちょっとさよならです。

スーくん。

ほんとに、ありがとう。またね。

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