わからないでちゅ〜。
ラジカセをかかえて、後ろ向きに早足で歩いて、T-9ちゃんをジーンズのお尻のポケットから慌てて取り出して、片手で撮影したら、こんな芸術的な写真が撮れてしまったので、
特に僕の様に、写真の勉強の「べ」の字もしたことがない人間にとって、撮れば撮るほど、その難しさが身に染みて分かる。
「ディレク・スー」の激が飛ぶ。やっぱり監督はステッキーだ。
★ ★ ★
そういえば、いままでの人生で、こんなに毎日撮影したことなんて、なかったんじゃないかなぁ。僕の相棒「G4」ちゃんに入ってるiPhotoのライブラリには、1400枚以上の写真が残ってるもんなぁ。(これでも、随分、整理したつもり。)ちなみにドリブログを始めて、初めてiPhotoの存在を知った。
バックアップ、取らなきゃ。
もうバレちゃったと思うけど、僕はコンピューターが、からきしダメだ。
音楽制作も、他の仕事も、もちろんドリブログも、コンピューターがなくてはならない毎日だ。それなのに、あーそれなのに、僕はインストールひとつ、メールの設定ひとつ出来ないし、やってみようと思った事も無い。
yorimo のおかげで、ドリブログを始めさせてもらったものの、当初、写真の取り込み方も、修正の仕方も、添付の仕方も分からなかった。まさに目の前が真っ暗になった。頭がコンピューター yorimo 先に、フリーズした。フリーズといえば、基本中の基本、強制終了のしかたも未だに覚えない。いや、覚えようとしていない。
だから何か困った事があると、生まれたばかりの赤ちゃんみたいに(実際、僕は、赤ちゃんほどカワイくない。つっこまれる前に、セルフつっこみ。)ただ、助けを求めて泣き叫ぶだけ。
泣き叫んでもどうにもならないと一瞬のうちに悟った僕は、その道のエキスパートを、自分の会社にスカウトしてしまった。
彼の名は「名人」。(命名 by ドリカムの「よし」ウン十年前。)
「名人」とはドリカム結成前に出会った。
当時、コンピューターと一緒にライヴをやったり、デモテープを作ったりという手法が一般的になる兆しがあった。もちろん、音楽制作では、まだコンピューターではなく、シークエンサーというMIDIシステム専用マシンが主流だったが。
ベースしか弾けなかった僕を、コンピューターミュージックの世界へ一から指導してくれたのが、僕がシンセを買いに出入りしていた楽器屋さんの店員の「名人」だっだ。僕も彼も、20代後半の頃である。
僕のコンピューター/シンセの歴史は「名人」との歴史だ。
ドリカム・サウンドの聖地、スターチャイルド・スタジオも彼が責任者として作ったのだ。
そんなわけで「名人」に、国際電話だ!
★業務連絡★
「冬のナニ」の「自主制作のナニ」、ナニからナニまで3人のため、思ったより困難。とにかく、一歩ずつ、一カットずつ、積み上げるのみ。
「ミュージック・ビデオの道も、一カットから。」と、肝に命じること。