セントラル・パーク
仕事帰りにセントラル・パークに寄ってみた。
動物園に行きたかったが、後1時間で閉園と聞き、今回は諦める。
だって1時間じゃ足りないでしょ。ちっちゃな動物園だけど、セントラル・パークの中にあるせいか、独特のリラックスしたバイヴが流れていて、ついつい長居してしまう。
でも、せっかく来たので、公園の中に足を進める。
木々は色づいているものの、葉を落とす所まではいかないらしい。それどころか、未だに緑濃く茂った木々も沢山ある。
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セントラル・パークに来るといつも感じる事がある。
この公園がなければ、ニューヨークはここまで世界の中心にならなかっただろうと。あえていうと、ここがニューヨークの肺のように思えてならない。
単に、木が茂って二酸化炭素を吸収して、酸素を生産しているからではない。
ここに来ると、自分が呼吸していることを認識出来る。
世界中から、ありとあらゆる欲望と夢を抱いた人間が、どんな事をしてでも勝ち抜こうと毎日を戦い続けている。
「たまには休みたい。」とか考えていては、ここでは、生きてゆけない。
命からがら内戦の国から逃れて来た人。母国では家族が餓えに苦しみ、何とかしなければと、命がけでコンテナにのって密入国した人。政治的な迫害を受け、思想の自由を求めて亡命して来た人。新天地で一旗揚げようと、母国には二度と戻らぬ決意で移住してきた人。などなど。
たとえ現在はニューヨーカーであっても、彼等の2世代、3世代前は、ほとんどが、そういう人たちである。
「たまには休みたい。」と思う権利があるのは、ここでの戦いに勝っている人だけ。(でも、明日は分からない。)
毎週末、マンハッタンから、大渋滞の中、郊外の別宅へ帰って行く人が沢山いる。彼らのほとんどが「今は」成功している人たちだ。そんなタフな彼らも、365日マンハッタンに留まる気はない。
そんなわけで、とにかく、この街は息が詰まって来る。何度も繰り返すが、ここは「生きるため」の戦場だ。戦場で息抜きが出来るはずが無い。
セントラル・パークは、「生きるため」に戦う人たちに与えられた、戦場のど真ん中にある「休戦地帯」なのだ。ここで、人々は呼吸を整えて、また戦いに出掛ける。
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本来相当へなちょこな僕は、いまだに、この街に鍛え続けられている。
クタクタになると、こうしてセントラル・パークに抱きしめてもらいにやって来るのだ。そして、大きく深呼吸をする。
そんな僕を甘やかしてくれるかの様に、この森は、すんごい写真を撮らせてくれた。
あの、これ、ちょっと、僕にしては、出来過ぎじゃなーい?