1970年代、市川のフォーク村といっても本当の村があった訳じゃない。
時には公園に集まったり、時には公民館を借りたりして、それぞれの作品を発表し合う場所があった。喫茶店や楽器屋さんの練習スタジオもアマチュア・ミュージシャンの溜まり場だった。
そんな集団の中心的な存在が素野哲氏。僕の師匠の風間氏は、哲氏のもとに集まるミュージシャンの中の新人達の育成を担当していたらしい。
素野哲氏の歌声を初めて聞いた時の衝撃は忘れられない。
当時の傾向として、歌の上手さはあまり問われない時代だった。詩があくまでも優先されていたためなのかもしれない。
ところが哲氏のヴォーカリストとしての”上手さ”やスタイルは、洋楽以外では聴いた事の無いものだった。奥行きのある唯一無二の声。詩によって多彩に使い分ける発声方法。セクシーなのに清らか。まるで”欧米のガイジン”のようなヴォーカリストだった。
さらに僕を驚かせたのは、哲氏の歌っていた何百曲というレパートリーが全て彼の作詩、作曲によるオリジナルであるということだった。
洋楽のスタンダードのような曲を書ける日本人が存在することが、ただただ僕を驚かせた。
当然のことながら、僕はすっかり哲氏の虜になった。風間氏が師匠なら、哲氏は教祖みたいな存在だ。
それからというもの、哲氏のお宅に上がり込んでは、一日中歌を聴かせてもらっていた。何曲も何曲も、日が暮れるまで歌ってもらっていた。まるで母親に次々と絵本を読んでとせがむ子供みたいに。今思い返すと、哲氏にしてみれば大変な迷惑な話だったに違いない。
哲氏の作品の中でとりわけ好きだったのが「キャンディ・グライダー」という曲。恋人たちがキャラメルの空き箱で作った紙飛行機に二人の想いを込めて飛ばすというあまりにも純粋な愛の歌。導入部分の斬新な譜割りや、男女が交互に歌うスタイル。途中テンポが変わってまた戻る自由な作風。どれもこれも僕にとっては目から鱗の新しい世界だった。
あまりにもこの曲が好きで、高校時代のバンド名も「キャンディ・グライダー」(1125参照)にしたぐらいだ。(文化祭に際して手製の「キャンディ・グライダー」ロゴ入りTシャツまでつくっちゃった)
もちろんこの曲が(哲氏が好むと好まざるとに関わらず)僕のバンドの重要なレパートリーだったことは言うまでもない。
で、なんと、僕の音楽の教祖、素野哲氏と30年ぶりに再会。昔のように「キャンディ・グライダー」を歌って!歌って!とせがんだ様子をUP。
ムトゥにも助っ人してもらって、「キャンディ・グライダー」オリジナルバージョンを収録。だって素野哲氏、当時の音源を全て処分してしまったと笑うだけ。急遽、超多忙な中無理を承知で御願いした。
30年ぶりに聞いた歌声は当時のまま。僕も一瞬のうちに高校生だった頃にタイムスリップ。2階の部屋に差し込む夕日のなかで歌う哲氏の姿がリアルに目の前に出現した。そして哲氏が突然歌を止めると聴かされて59(号泣)した日のことも。吉田さんの言ってる通り、歌はタイムマシンだ。
「哲さーん!歌声が聴けて震えるほど嬉しかったです。あのころの他の作品もまた録りに行きますから!」
そんな素野哲氏と交流があったのがサンシャイン・キャリフというバンドをやっていた高橋利之氏。彼の楽曲が僕の人生に与えた影響は計り知れない。
つづく。
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ドリブロガーから、オフィシャル呪文の「エコエコ・デナンミ・ビナトスエクリ〜。」が効き始めてるというレポートあり。すんげ〜!